エンカエッジのカウンセラーは過去に東海地区だけではなく、東京、大阪などの主要都市を中心に様々な地域の子どもたちと携わり、子どもたちを再登校に導いてきました。そこで、学校に戻ることができた子どもたちとの関わりの記録の一部と母親の手紙を紹介させていただきます。なおプライベートを守る為、名前、地域などは架空のものとさせていただきます。
C地区Bさん 4年生 不登校期間4ヶ月 |
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2003年1月中旬 |
| 訪問初日、T君は私の存在に疑問を持つことなく「ゲーム好き?」の問いかけに笑顔で答えたのが印象的だった。はじめてということもあり目を合わせることはほとんどなかった。 |
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2003年2月頃 |
| 1ヶ月が経ち関係もかなり深まる。T君は集中力がすごく2時間ほど連続でゲームをする。休んでいることに対してはあまり罪悪感を感じられず、学校のある時間にも平気で電話にでるなど堂々としている。 |
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2003年3月頃 |
| 訪問初日から2カ月が経ち、「ずっと来るのを待ってたんだ」と言ってくれるようにまで関係が深まる。T君は時おりかっとなるところがあり、私には見せないが妹などに当たるときがある。1人の時には、紙に「死にたい、殺す」などの文字を書いているときがあるらしく、精神的に不安定になっているようだ。 |
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2003年4月頃 |
| 登校刺激。T君はやはり学校に行く気があったようで私と一緒に準備をしていくことを望む。T君は生意気な言葉遣いが目に付くので気づいたときに注意していくことを本人に伝える。T君も素直にうなずく。そしてようやく登校準備に取りかかることができた。訪問初日から実に4ヶ月が経過していた。 |
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2003年5月中旬 |
| 登校準備。学校にいける最低レベルの学力の確保のため、掛け算と割り算、笛の練習をおこなう。掛け算を少し忘れていて割り算はあまりわかっていない状態だった。笛はきれいな音が出ていたが押さえる場所を忘れていた。練習は一生懸命だが気負いすぎでため息がでていた。 |
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2003年5月下旬 |
| 登校準備。学校にいって孤立しないように友達に遊びに来てもらった。みんなや優しくT君が来るのを楽しみにしていると言ってくれていた。「委員会は美化だから僕と一緒だよ」などと学校のことも丁寧に教えてくれ、友達の優しさに涙がにじんだ。T君は明るくみんなと楽しく遊べていたので友達の問題は心配ない。 |
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2003年6月上旬 |
| 登校準備。T君は学校を休んでいる間に目が悪くなったようなので一緒に眼科に行きメガネを作る。T君は自分の目が思っていたより悪かったことにショックで泣いてしまった。メガネも度がきついのでくらくらすると嫌がっていた。少しずつ慣れていこうということで落ち着いたが、学校を休んでいることが学力以外にいろんなものを奪っている気がする。 |
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2003年6月中旬 |
| 再登校初日。登校日の朝はさすがに緊張のせいかいらいらしていたが、友達がくると落ち着きを取り戻し、学校に行く途中でメガネを忘れたことに気づくというハプニングに見舞われながらも何とか無事に登校。優しい友達のおかげで不安の少ない登校だったように思う。訪問初日から実に4ヶ月と26日が過ぎていた。長かったがこの日を迎えられて本当によかった。 |
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2004年現在 |
| T君は学校を1日も休むことなく優しい友達に囲まれて元気に登校しているとのこと。嫌がっていたメガネも今では必需品になっているようだ。 |
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分析 |
| B さんのケースでは、親の過保護が子どものわがままを助長した形といえる。子どものかんしゃくに親が負ける形で親と子の立場が完全に逆転していたため、修復するのに時間がかかった。紙に「死んでやる、殺す」などの文字があるなど親が弱気になる要素がたくさんあったために、なかなか子ども上位が改善できなかった。その点も時間がかかった要因の1つといえよう。紙に書いた文字に関しては、学校に行きたいが行けないという苛立ちからくるものでそのことに関しては心配する必要はなかった。実際、学校にいっている今はそのようなことは全くない。つまり、それ以前の短気でわがままな性格が受け入れられてきた家庭の状態に問題があるといえる。現在ではわがままはもちろん、短気なところもなくなってきている。 |
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Bさんからの手紙 |
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